ある所に万作(まんさく)と名乗る男が、雨露を凌ぐだけという小さな一軒家に住んでおりました。この男たいした仕事も持たず、裏山の小さな畑に芋や大根や人参などを作って暮らしておりました。さしたる趣味も持たない男でしたが、どういう訳か意外にもパソコンだけには興味を示し、毎日を只画面の前に座っているという呑気な生活を過ごしておりました。
ある日、この男に『ブログ』投稿を進める者が現れまして、どうした経緯か仔細は不明ながら万作氏投稿の安請け合いをしてしまい、元来が真面目なこの男、日記など付ける必要もない生活にどうしたものかと、苦しみ悩み始めることとあいなりました。そんな中ふと、傍らに置いてあった湯飲み茶碗が目に入ると、やにわにそれを手に取ると、六畳間の座敷の真ん中にドッカと座るや目の前に茶碗を置いて、腕を組んで盛んに考え始めたのであります。
そこへ、近くに住む寅(とら)と熊(くま)という仲間がやってきて、庭先より万作を見つけると寅が声をかけた。
「万作兄貴どうした。そんな難しい顔をして。湯飲み茶碗と睨めっこなどして何か面白いことでもあるのかい。それともつまらんものでも飲んで腹でも痛めたか」
万作、二人に気付くと天の助けとばかりに喜んで、
「ちょうど良いところに来てくれた。お前達二人に頼みがある。ちょっと聞いてはくれまいか」
寅が、
「いいとも何でも言ってくんな。人にものを頼むにはそれなりの心付が必要と聞くが、回りを見れば何にもない事は先刻承知。請求するのも気が引ける。この際何にも言わずに引受けよう。熊さんどうだい一肌脱ごうじゃないか」
熊がうなずく。それを見て寅が、
「話は決まった。それで何をする」
万作は事の経緯をかいつまんで説明する。要するにパソコンで日記を付けなければならなくなった次第を述べたのであるが、聞いていた二人の顔が青ざめてきた。たまりかねた寅が、
「兄貴ちょっと待った。一つだけ条件を付けるのを忘れた」
「条件?何だねそれは」
と万作が二人の顔を覗き込む。
「兄貴には申し訳ないが、そこのパソコンをいじるのだけは御免こうむりたい。俺達には過ぎた代物だ。見ているだけで気が狂う。どうかこの話はなかった事にしてくれ」
万作はそれを聞いて高笑いすると、
「お前達に何時パソコンの達人になれなどと言った。心配するには及ばない。お前達に頼みたいのは、それ、目の前に湯飲み茶碗があるだろう。その茶を飲んで旨いか不味いかを言ってくれさえすればそれで良いのだ」
合点の行かない二人の様子に、万作は衣を正し神妙な顔付きになって言葉を続けた。
「昨年の暮れ裏山の婆さん何を思ったか、この世に飽いたらしく急にぽっくり行っちまったのはお前達も知っての通りだ。寅さん熊さん、二人で婆さんとこの次郎柿を盗み食いしてはよく追い掛け回されていたじゃあないか。そんなにくまれ婆さんも亡くなってみればおかしなもので、この辺りも随分寂しくなっちまった。何の因果か家に一番近かった縁で、婆さんとはよくやりあったもんだが、身近だった俺にしてみれば寂しさもまた人一倍というところだ。で、その婆さんだが俺が行くと必ず茶を出してくれた。婆さんのことだからそんなに上等なお茶など出す筈はないと睨んでいたが、それでもいつも不思議と美味かった。何故だかここんところが今もって解らない。今更死んだ婆さんのことを詮索しても始まらんが、あの旨い茶にありつけた者としてみれば、そう婆さんを悪くばかりいう訳にもいかんというのが今の俺の心境だ。まあそんな訳で、別に婆さんの供養というわけでもないが、さっきも言った通り、これから俺は人一倍高尚な人間に生まれ変わって、お節介にも日ごとの出来事をこの世に向かって発信しようってんだが、ここまでは我慢できるとして、その先の見通しが全く立っていない。発信するものが無いのだ。取り得なんぞどこを探したって出てくる筈もない俺にとって、この思い入れはちょっと荷が重過ぎたと気付いたのも後の祭りで、裏山の楠木にでも登ってこの身を隠そうかなどと考えたりもしたが、残念ながら長期戦には向いていない。風邪でも引いた日にゃあ馬鹿をみる。第一人に褒められるような体裁(ていさい)の良い話じゃあない。どうしたもんかと頭を抱えていると、急場凌ぎに浮かんできたのが、この婆さんのお茶なのさ。そこへうまい具合にお前たち二人がやってきたという次第だ」
調子づいて立て続けに喋る万作に、寅の顔が次第に硬直してきた。熊は心配そうに万作を見守っている。万作は意に関せず更に続けて、
「つまりだ、婆さんが俺にしたことを、今度は俺がお前たちにしてやろうって話さ。別に婆さんの敵を討とうなどと考えているんじゃあないから、安心して大船に乗ったつもりで受けてくれ。それに、夢見心地にも茶を飲むお前達の姿はまんざら悪いものではない。天狗山の狐や狸もきっと羨ましがるに違いない。で、そんな所を掻い摘んで『ブログ』とやらに載せれば、問題は一挙に解決でこんなに目出度い話はないではないか。どんなもんだろう?うまい手を考え付いたとは思わないかい?」
と万作の覗き込んだ二人の顔は、万作の一方的な企みにおおいに不満気げである。天狗山に住む狐と狸に比べられ、恨めしそうな二人の眼(まなこ)に出会った万作は、ようやく恩着せがましい物言いをしている自分に気が付いた。一転、慌てて二人の機嫌を取り始めて言った。
「いや何もお前たちに恩を売ろうってことじゃあない。確かに大きなお世話に違いなかろうが、だからと言って、お前達を騙晦(だまくら)かして、ことさら俺だけが人目に付こうなどという欲に目が眩んだ訳でもない。まあ、要するにだ、一人で茶なんぞ飲んで屁でもない薀蓄(うんちく)を並べたてたところで面白くも何ともないじゃあないか。それよりも、三人で茶でも飲みながら好きなことを言ってた方がよほど暇つぶしになってご利益があるってもんだ。それに、どう考えても、そこにある出がらしの番茶しか飲んで来なかったこの俺が、一人で味見などできる話じゃあない。ここんところは、是非二人の力を貸してもらうしか他に手はないんだよ」
縮んでいた寅と熊の姿勢が急に勢い付いてきた。寅がふんぞり返って言った。
「万作兄い。そんな水臭いことをいうには及ばないよ。茶を飲むくらいわけのない話だ。それに、茶には饅頭が付きものって話は聞いたことはあるが、茶を飲みすぎて早死したって話は聞いたことはない。おおいに協力するつもりだから安心しな」
それを聞いて万作は、
「熊さんも承知してくれたかい?」
いつになく自信に満ちた熊がコクリと首を縦に振った。
既に陽はとっぷりと暮れて、万作の家を出た二人の背を真んまるの十五夜の月が照らしている。珍しく二人が黙って歩いていたが、小高い丘の向こうに小さな山間(やまあい)の町の明かりが見えて来ると、寅が口を開いた。
「熊さんよ。当てにならん万作兄貴の話で、先のことはどうなるか解らんが、出来るだけのことはやってみるかい?」
熊さんが十五夜の月を仰いでニコリと微笑んだ。寅さんもまた了解して頷(うなづ)いたのでした。

